- Contents -
(プロヴァンス滞在記)
2007/03/06
 
  1.ボニュー
  2.ピザ屋
  3.キャンプ場
  4.アパート
  5.ミストラル
  6.スーパーマーケット
  7.ジュリアン橋
  8.ビュークス 1
  9.車上ねらい
 10.待ち合わせ
 11.カヴァイヨン方面へ
 12.アンスイ城
 13.宗教
 14.ヴォークリューズの泉
 15.カナル
 16.作者のつぶやき
 17.オクサンのつぶやき
 18.写真室 1
 19.写真室 2
 20.写真室 3
 21.写真室 4
 22.桜の花が咲く頃
 23.フォーレ・デ・セドル
 24.ボニューについて
 25.さくらんぼの実る頃
 26.嵐の夜は・・・
 27.ルノーガレージにて
 28.ビュークス 2
 29.ビュークス 3
 30.気まぐれ
 31.写真室 5
 32.共同洗濯場
 33.写真室 6 (水にまつわる写真)
 34.ドイツ系スーパー
 35.3車線?道路
 36.ロータリー
 37.ドルメン
 38.使い捨てカイロ
 39.モンマジュール修道院
 40.ペイヨン
 41.写真室 7 (街の眺め 1)
 42.ローマ水道橋 1
 43.ローマ水道橋 2
 44.写真室 8 (これなあに?)
 45.写真室 9 (街の眺め 2)
 46.プロヴァンスのコロラド
 47.マルセイユ
 48.桜の花が咲く頃 2006
 49.交通事情 2006
 50.レガロン渓谷

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プロヴァンス滞在記


27.ルノーガレージにて


今回の滞在初日のルノー・クリオ(Renault Clio)。
キャンプ場で。ちなみにクリオは日本ではルーテシアという名前で販売されている。ホンダとの兼合いでクリオという名前は使えないのですね。

(このページは、『30.嵐の後は・・・』の続きです)

ボニューの警察で申告し、Declaration(de Vol):盗難証明をもらう。ここは今回珍しく順調であった。
ボニューの村の警察官は実に紳士的で親切だ。

で、Declarationを持って、保険の申請と修理の手配にかかるわけだが・・・。
最寄りのルノーガレージに行き、そこで修理担当の人と相談しながらパリのルノーアシスタンスと電話で連絡を取り、修理の手配に入る。ここが問題。






ルノーアシスタンス(私に):
『代車のレンタカーを手配したから車をガレージに置いてタクシーでカヴァイヨン(Cavaillon)に行ってください。代車は水曜(5日後)まで押えています。』

私(ルノーガレージに):
『水曜日に修理が終わるのですか?』

ルノーガレージ(私に):ニカッと笑って、
『Oui peut-etre(はい、たぶん)』

私:『・・・・・・』

この返事が全てであった。



ルノーアシスタンスの担当から、『レンタカーを用意したので、カヴァイヨンのハーツにすぐ行ってくれ。』と言われたのだが・・・。今は12時過ぎ、開いているはずはないですよね、やっぱり。ここで2時間待ちぼうけになりました、ふうう。暑い。

サン=シクスト礼拝堂(Chapelle St-Sixte)。
カヴァイヨンから車で15分位。
ここでは時が止まってしまうかのような雰囲気だ。

5日後の水曜日、ルノーガレージに行ってみると、まだ何も手をつけていない。

『たぶんあさって。部品がまだ届かない。』
との回答。

ルノーアシスタンスに電話し、レンタカーの延長をする。





さらに2日後に来てみると、
『まだ部品が来ない。いつ来るかも分らない。たぶん明日には来るだろう・・・。』

帰国日が近づいてきた私には、だんだん焦りが出てくる。このままでは、あてがわれた貧弱な代車でパリまで戻らなければならなくなる。

私(ルノーガレージに):
『在庫はどこにあるのか? オンラインで検索できないのか?』

ルノーガレージ(私に):
『検索は出来ない。マルセイユかアヴィニヨンかカルパントラか?どこから来るのかも分らない。』

私:『あらららら・・・・・・』 



代車はF社のPUNTO(1.2L)。排気量が少なくパワーが無い。
ガソリン車なのでルノー・クリオ1.9Dより燃費が悪いし、
燃料も高い。最も困ったのは、
シガレット・ソケットの形状が通常の物と違っていて、
ノート・パソコンの電源を車内で取れないことだ。


パリのルノーD.V.S.Eで
ここで今回のクリオともお別れだ。この後、クリオは修理・整備され、中古車として販売される。


これでは埒があかない。その場でルノーアシスタンスに電話をかけて、クリオを取り戻す交渉にかかる。

ガレージは車を直したい。ルノーアシスタンスは保険の処理が面倒。私はもらった代車が気に入らない。
三者の思惑がなかなか一致しないが、なんだかんだと話し合い主張しあった挙句、結局は壊れたルノー・クリオでパリまで戻ることに決定したのでした。

この件に煩わされた9日間はあまりクライミングが出来ませんでした、がっかり。

( 2002/07/02 作成 )




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