- 特集 1 -
(カタルーニャから)
2001/09/09
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      プロヴァンス滞在記

カタルーニャから 1

                 
カタルーニャは・・・。
ローマ時代にはタラゴナ(タラコネンシス)がローマに次ぐ特権都市であり、ローマ皇帝アウグストゥスやガルバ、ハドリアヌスが住んでいたこともあった。 またバルセロナ伯爵領であった頃はカルカッソンヌからペルピニャンにかけて(現在フランス・ルシヨン地方)も領土に持つ強国であった。スペインに併合されたのは1714年。 そのような経緯もあり、バスク地方とともにスペイン中央政府に対して独立心が非常に強い。 自治権が認められたのはフランコ総統の死後、1979年。 つい最近である。
また、この地域本来のカタラン語は、スペイン語というよりは、むしろフランス語(ラングドック)に近いそうだ。

ピレネー近くの山村にいたとき、買い物の際など、言葉が通じなくて困る事が多い。 私はスペイン語が全くダメで、英語はなかなか理解してくれる人がいない。 ならばフランス語では、と思い、私のプロヴァンスなまりの片言フランス語を使うと意外に通じてしまったりする。


サグラダ・ファミリアの薔薇窓からの眺め。
ここにステンドグラスがはまるのは
いったいいつになるのだろうか?




生誕門の天使像。
16年前、初めて訪れた時は、
右上のハープを持った天使像1体のみで
真っ白く周囲から浮いて見えたが、
今では天使像も増え、色もなじんでいる。


カタルーニャでもっとも有名な建物は、やはりバルセロナのサグラダ・ファミリア/聖家族教会(Sagrada Familia)だろう。

遅々として進まぬ未完の建築物だが、確かに建設は進んでいる。 訪れる度に、新しく出来ている場所を見て、ついつい感慨にふけってしまう。

サグラダ・ファミリアの建築は1892年に始まった。
当時はもちろん、石積建築なのだが、今はすっかり現代的な工法に切替わっているようだ。





この教会の完成まであと200年というのは有名な話で、気長な例としてよく引き合いに出される。

しかし本来、教会建築は完成するまで300年400年が普通で、ドイツのケルン大聖堂に至っては560年かかっている。

昔においても、工期がそれだけ長期間にわたるからには、その間に建築様式が変化しているのは当たり前で、実際、たいがいの大聖堂はロマネスク様式の部分、ゴシック様式の部分と見分ける事が出来る。



鉄筋を組んで、左のポンプ車からコンクリートを流し込んでいる。
(手前の足場が邪魔してちょっと見にくいですね。)


石型そのものが型枠代わりになっているのですね。
これも足場が邪魔して見にくいのだが、
よく見るととても面白い作り方をしているのがわかる。

だがここで、注意すべき事がある。 『ロマネスク様式』『ゴシック様式』と区分けして見るのは後世代、ルネッサンス期以降の見方であって、この時代の人々が区別したわけではない。

新しい工法・技術で、より高く壮大な姿、美しく幻想的な採光を求めた結果なのだ。 『ゴシック様式』という言葉自体、後世代になって、その複雑な外観をけなす為に使われはじめた用語なのである。(ゴッシク=ゴート人風)



これらのシュールレアリズム風の彫刻群も
時代の流れを反映していて面白い。


サグラダファミリアしかり。
建築方法の変化は当たり前である。 分かってはいるのだが、実際に鉄筋を組んでコンクリートを流しているのを見ると、なぜかやはり違和感を覚えてしまう・・・。
そしてデザイン上の、私がどうしても禁じえない違和感。見方を変えれば、工法の変化がデザインに、より自由さを与えているとも言えるのだが・・・。
私は、ガウディの設計の真骨頂は一見奇抜なディテールよりもむしろ、ゴシックの壮大さを如何にシンプルに、バットレス(控え壁)やフライングバットレス(飛梁)等のゴシック的な手法に頼らず成し遂げてきたか、にあると思う。そういう意味では、この変化は実に理にかなっていてガウディの意を汲んでいるとは言える。
日本の一部の建築家が、ゴシック期の精神を理解せず、その外観のみをデザインに採り入れて、ヨーロッパ風・あるいは壮大さを演出しようとしているのと好対照ではないか・・・。

( 2001/06/17 作成 )


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